愛着障害の私がセラピストになった理由

jjjunko52

愛着障害だとわかった時には泣き崩れました


私ヒギンズ純子はプロフィールでも紹介しているように
自身が<愛着障害>であり
毒親に育てられ、そして、毒親になりました。

この家族連鎖に気が付いた時
目の前が真っ暗になりました。

「愛着障害」英語では「attachment disorder」と言います。
この「disorder」「障害」という言葉が強く全身にのしかかってきたのです。
講座の休憩時間に先生に泣きながら
「これは障害ならば治らないですよね」と確認しに行きました。
治る事は無いのではないか、この生き方を変えられないのではないかと
すがる思いで聞きに行きました。

答えは「治ると言うか薄くしていく事が出来る、生きづらさはそれほど感じなくなりますよ」
と言っていただいたのを今でも覚えています。それは、2021年の基礎コースの受講生でした。

あの時のショックは今でもはっきりと覚えています。
だから「愛着障害」という言葉を
初めてのカウンセリングで伝えることは控えています。
私はドクターではありませんので、診断したり、治療したりもできません。
ご本人がそう思っている、そう感じていると仰ればそうかもしれないとお伝えしています。

愛着障害とは幼少期に親から暖かい安心安全の保護をもらえなかった。
1番の信頼者である愛着対象者から十分満足できる<愛着(愛情)>をもらえていない人の事です。


・子供が嫌いだった
・忙しくて子育てをしていなかった
・教育ママだった
・女の子、または男の子だったからがっかりした
・親にそっくりで嫌いだった
・兄弟の面倒を見る、長男、長女の役割等、条件付きで愛された
・親自身が大切にされていなかったので、自分の子供も大事にされないのが当然
・親は祖父母の言いなりになって、子供を差し出していた
・子供に愚痴を聞かせていた
・慰めてもらえる事はなかった
・親の叶えられなかった事をさせる
・親自身が苦労した、寂しかった、だから同じように苦労しなさい

色々な事情はあったとして
八つ当たりしたり、厳しくして親自身の平和を守っていたり
子供の寂しさ、悲しみ、辛さに寄り添わなかった
そうすると
子供は愛して欲しいから、抱きしめて欲しいから
愛されていることを感じたいから
色々な方法で、確かめます

それは、お腹が痛いと言ってみたり
親を困らせるような行動を取ったり
ベタベタしたり
子供なりに愛情を確かめるのだけど、、、
それでも、もらえなかったら、、、
子供は、その理由を自分のせいにしてしまうのです。

自分を責めるタイプ



自分が悪い子だから
自分が怒らせたから
お手伝いをしないから
いい子じゃないから
どうすれば、どうすれば、、、

そして
見つからない答え探しを
ついに諦めて、自分の欲求や感情を押し殺し
無かったことにしてしまう。
このようにして、自分らしさや、自分の意思を閉じ込めたまま
大人になると
「自分がわからない、喜びも悲しみもあまり感じない」
なんのために生きているのかわからない
生きにくさを感じるようになります。
自分が悪い事にしておくタイプは
自分を責めて鬱になったり
いなくなりたいと思ってしまう人もいます。
そして、幼い時の記憶はないという方が多いです。

逃避タイプ


私は、孤独感や、愛されない、邪魔者扱いや、理解してもらえない
そんな事を感じる家庭が嫌で、外へと意識は向いていきました。
否定されたり、寂しさを感じたく無かったので
逃れるように遊びに行きました。

気が小さくて不良と言われる人たちには近づけないし
いく所もなく
アルバイトばかりしていました。

デパートの食品売り場では
いろんなお店から手伝って欲しいと言われて
野菜売り場で野菜を詰めたり
魚売り場の裏で魚をパックに入れたり
肉屋の量り売りや
重宝に使ってもらって次第に人気者になりました。

承認欲求は満たされていき
働く事が楽しかった。
両親より社会の人たちの方が暖かく優しいと感じていました。

そこで持ち前の人懐っこさから
社交性が身につき、人と関わる事に喜びを感じる様になっていきました。

ただ
人は信じられませんでした。
なんとなく「見下されている、馬鹿にされている、いつかみんな離れていく」
常にそんな感覚がありました。
どこかしらけている、心から楽しめない、なぜなんだろうとぼんやり思っていました。

愛着障害の特徴として
「そもそも愛がわからない」のです。
もらってないから、触れてないから、見てもないから
映画のような暖かい家庭や、愛情は本当にあるとは思えないのです。
現実には見たこともない知らない世界なのですから。

そうして社会は
家庭より暖かく優しいと知った私は
ますます家に帰りたくありませんでした。

家にいると
自分の無価値を感じたくない父が常に母を馬鹿にしていました。
そして、母が反応しないと私と兄にも人格否定に近いことを言い続けるのです。
口を開けば馬鹿にするのです。
新聞を読んでもテレビを見ても
馬鹿にして見下すようなことしか言いませんでした。
それがとても嫌でした。
物騒ですが、親を殺してしまったという事件を耳にすると
私は子供の方に同情してしまうのです。
どれだけ苦しかった事かと、、、

こうして立派な「愛着障害」になりました

家から離れたかった私は(※当時は意識していませんでした)
国際結婚をしました。
アメリカ人だったので愛情表現豊かで
とても愛してくれました。
それでも
その愛を最後まで信じることができませんでした。
結婚生活は楽しかったけれど
子育ても楽しかったけれど
どうしても信じられなかった。

離婚した事に後悔はないけれど
残念だったと思っています。
こんな私を21年間も愛してくれて
一緒に歩んでくれて
心から感謝しています。

そんな自分の生き方が、なぜなのか
どうしてこんなに人を信じる事ができないのか
どうしてこんなに愛されたいのか
心にいつもある不安、寂しさ、孤独感、承認欲求、虚しさ
セラピーセッションを受けていくうちに次々と私の心が丸裸になり
その原因がわかった時
これからどう生きていこうか
初めて自分の人生のスタートラインに立ったのです。
未来は真っ白で、そこには何もなく
進むべき指針は、一つも無くてとても怖かったです。

自分が自分を否定し
自分から人を信じないと決めていて
自分がダメな自分は嫌われると
そう思い込んでいた事に
気付く事ができました。

自分で思い込んでいる
自分がそうに違いないと思い込んでいる自分像を
書き換えるのに時間がかかりましたが
今はダメな自分
うっかりしてしまう自分
できない事が多い自分
ついつい役に立とうとしてしまう
いい顔いい人をしてしまう
余計なお世話をしてしまう
物忘れが多い
地図が読めない
どんぶり勘定
忘れっぽい
飽きっぽい
さみしがり屋
そして、愛されたい

そんな

自分を認め
それでも頑張ってきた
そんな私を愛おしく

全く幾つになっても子供っぽいな
もう初老だぞと自分に突っ込んだりして
受け入れるようになりました。
今は大親友は自分です。

解決するには


私が最初に過剰反応した
<愛着障害>の障害という言葉から
知りたくもないし、認めたくないという人もいると思います。
<愛着障害>の重症になると自分で気が付く事が難しくなります。
全て相手のせいにするからです。
あいつが悪いと人のせいにすることは簡単で「楽」だからです。

<愛着障害>幼い時に傷ついたは、癒されないままだと
ずっと疼いて、愛情欠乏感を埋めるための人生になりかねません。
癒していけば、いつしか古傷となり
そんな事もあったなぁと冷静になる事ができます。
過去は変えられませんので、なかった事にはできません。


心理を学んだり、プロの力を借りたり
カウンセリングやセラピーを受けながら
自分の幼少期を振り返り
「考え方のクセや、生きづらさ」を紐解いていけば
自分の人生の舵を取る事ができるようになります。

その事を多くの人に伝えたい、そんな想いから
心理セラピストになりました。

一人でも多くの方が
「自分の人生を生きている」と
そんな実感と幸せを感じて頂けるように気づきを提供しています。

ABOUT ME
ヒギンズ純子 | 心理セラピスト
ヒギンズ純子 | 心理セラピスト
Junko Higgins | Psychotherapist
国際電撃結婚・離婚を経験|2人息子はアメリカ在住|心理セラピーと運命的出会いを機に移住20年後に帰国。結婚しても消えないさみしさは幼少期の愛情欠乏感が根源と知り学びながら癒していく| 英語OK | LOVE♡クラフトビール・ピンク・琉球グラス・人生の仲間
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